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2011年03月27日

国民総PTSD


ここは西日本。
四国は愛媛県。

東日本大震災を受けた日本だけど、
震災前とは表面的にはそう変わらない日々を送れている西日本。
買いだめもガソリン不足もない。

震災の日から、食い入るようにテレビにかじりつき、
ニュースを見るにつけ、新聞を読むにつけ、ラジオを聞くにつけ、
胸をかきむしられうような思いに、毎日号泣している。

波にのまれる街の様子や、繰り返し被災地に訪れて避難住民を取材したり
大事なことを伝えていないとか、各局の横のつながりの悪さとか、
報道のやり方いろいろ文句を言う人はいるけれど、
それを見ないからには、私たちには何も伝わらないし、
それも事実の一つとして受け止めるつもりで流されないように冷静に
見ているつもりだ。
 
が、
とにもかくにも私は、1歳と10歳の子供を抱える母として、
津波で家を無くしたり、
命からがら逃げのびたり、
不幸にも亡くなってしまった母子を思うと、
どんなに怖かったか、
どんなに無念か、
今どんなに不安か、
思うと涙が止まらない。

もともと涙腺はユルユルではあったけど、
波にのまれてつないでいた子どもの手が離れてしまったと泣くお母さん、
乳飲み子をおぶったまま遺体で発見されたお母さん、
幼稚園バスごと流されてしまった子どもたち、
また、家族と一緒に流されたが運よく助かり、両親を探す小学生の記事なんかを見ると、
もう、まるで自分が、自分の子どもが 亡くなったかのような
いたたまれない気持ちになって、
仕事中にふと、そのことを頭がよぎるだけで涙がにじんでしまう。

今、こうして普通に生活してることせも
申し訳なく後ろめたくさえ思ってしまう。

節電しても直接的には助けにはならないけど、申し訳なさに対する自己満足
のために、楽してる自分を少しでも戒めるためにも
節電には心がけている。

こんな東日本が大変なときに もし、東海・東南海地震が勃発してしまったら
誰も助けになんて来られないな、
じゃあ自分でできるだけ子どもを守らなくちゃ、
果たして私一人で子どもを二人無事守れるのか(旦那は?)(あまりアテにしてない)
もし仕事中ならまず保育園、10歳の方は本人の判断に任せよう、
なんて、想像がどんどん膨らみ、勝手に一人で不安になり
夜中に目が覚め、また勝手に一人で泣く日々も続いた。

怖くて不安だけど、原発のことだって愛媛県は他人事ではないし、
東南海地震が起きる起きると言われて地震に備えるための心構えなんかも
しなくちゃ、なんて、結局テレビも地震のニュースばかり見ていた。


しかし、そうやって勝手に自分で不安をあおってニュースを見続けていることは、
もしかしたら、子どもたちにとっては言葉にできない不安をもっと煽っていたかもしれない。

テレビが怖いからといって昔録画していた楽しいドラマを見たり、
アニメを見たりすることは、子どもにとってはいい気分転換で、
単にテレビを消してしまうと逆に静かになって怖がったりするため、
ガチャガチャした番組も今ではだいぶ心の拠り所となっているようだ。

テレビは必要最小限にし、新聞やお決まりの番組で情報を得ることにした。
そうして勝手に一人PTSDとなっていた私は徐々に平常心を取り戻しつつある。
多かれ少なかれ、日本人は一種のPTSDのようになってるのではないか。
被災者は当然のこと、被災してない人も、遠く外国に住んでる人も。
自分だけが助かって悪い、とか、自分よりもっとひどい状況の人を
どうにかしないと!と焦ったり。

しかしこんな遠くで40近い子持ちのオバチャンにできることといったら、
今のところは募金くらいしかない。
とくに個人的な知り合いが東北にいるわけでもなく
贈ってあげられるようなキレイな物資もないが、
家計の苦しい我が家としても、痛み分けとして被災地への募金は欠かすことができない。
今までとはケタ違いの募金をしている。
大きいのは職場で取りまとめたときにして、
後は、募金箱をみる度に(信用できる相手に対してのみ)何度も募金するように決めた。

こんなときに悪い事考える奴は必ずいるもんで、既にもう募金詐欺が県内でも聞かれる。
ツイッターやチェーンメールで、いい情報のように流している情報さえも、
出どころのはっきりしない情報には絶対に振り回されないように決めている。

逆に、テレビの情報や新聞だって、事実の切り取り方によっては見方が全然変わってくることも
意識してみるようにしている。
政府の会見や東電の会見さえも裏を裏を見てしまう。
慎重になったと言えばそうかもしれないが、何も信じられなくなって疑心暗鬼になってしまうと
誤った方向へ進んでしまうことも忘れないでいないといけない。

テレビや新聞がだんだんと日常に変わったとしても
それを被災していない人たちはすっかり忘れてしまった、とは受け取らないで欲しい。
他人事だからって、真意に考えていない、と思わないでほしい。
こんなことが起こって、あまり生活の変化のない西日本だって、
本当に自分のことのように心を痛めているし、その分こちらが頑張らなきゃ、とも思ってる。
助けを求める人には、手を差し伸べたいとも思ってる。


募金以外にできること・・・
それは、西日本が奮起することかな。
震災を忘れずにいながらも、楽しい日本、元気な日本を引っ張らなければ。

大抵の日本人は、「がんばれ」なんて言わなくても頑張ってる。
だから、「がんばれ」とは言わない。
私たちが「がんばる」。


posted by ギャロパン at 21:52| 愛媛 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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